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article4:【前編】出来事は、重なるようにやってくる。

ライフ
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フリーランスとして働きながら、介護と向き合うということ

大澤奈保子さんは、メーカーで商業デザイナーとして15年働いたのち、フリーランスとして活動を続けています。

現在は、育児と介護が同時に進行する「ダブルケア」の日常を、イラストやマンガで発信しています。

展示や対話の場を通じて、ケアを担う人がひとりで抱え込まない社会のあり方を問いかけています。

うなぎ屋の娘として育ったこと

大澤さんのご両親は、うなぎ屋を営んでいました。忙しい日々の中でも、母はいつも明るく、家族の中心にいる存在でした。

子どもの頃の大澤さんは、そんな母の気を引きたくて、よくいたずらをしていたそうです。その姿から、家族の間では「いたずらタズラの”た〜ちゃん”」と呼ばれるようになりました。

その記憶は、今も大澤さんの中にあたたかく残っています。

※年表について
この年表は、大澤さんがご提供くださったものです。父の看取りから始まり、同居、コロナ禍での異変の察知、認知症の診断、介護離職、そして妊娠・出産を経て、フリーランスとして独立されるまでの、まさに激動の日々が凝縮されています。

父の看取りと、同居の始まり

大きな転機は、お父さまの看取りでした。

その後、母の様子に、どこか疲れが見えるようになります。

もともと母のことが大好きだった大澤さんは、「そばで支えたい」という思いから、ご主人とともに三人で暮らすことを決めました。

当時の大澤さんは会社員で、フルタイム勤務でした。大学卒業後、メーカーで商業デザイナーとして15年間働き、着実に経験と信頼を積み重ねてきました。ご主人もフルタイムで働いており、日中は家を空ける生活でした。

仕事から帰ると、母がご飯を作ってくれている。そんな日常は、とてもありがたいものでした。

気づかなかった変化

※イラストは、大澤さんがご提供くださったものです。母と娘との日常の様子が描かれています。

状況が変わったのは、コロナ禍でテレワークに切り替わったときでした。会社に行くことが当たり前だった日常が、突然、自宅で過ごす時間へと変わります。図らずもその変化が、同居していながら見えていなかった母の異変に気づく契機となりました。

それまで大澤さんは、朝と夜に顔を合わせる程度で、母の生活の細かな部分までは見えていませんでした。引っ越してからも、母の部屋に入ることはほとんどなかったといいます。

ある日、部屋に入ったとき、その違和感は一気に現実のものになります。

同じものがいくつも積み重なっている。

クローゼットの中からは、傷んだ食材が出てくる。

それまでの「いつも通り」が、静かに変わっていたことに気づいた瞬間でした。

認知症という現実と、受診の工夫

ご主人は介護の専門職でした。その視点から見ても、母の状態は認知症の可能性が高いと考えられました。

ただ、「認知症」という言葉は、ご本人にとって受け入れにくいものです。そこで、かかりつけの医師と事前に相談し、「健康診断」という形で自然に受診につなげる工夫をしました。

そうして、母は診断へとつながっていきます。

離職、そしてフリーランスという選択

当時の大澤さんは、海外出張を伴う多忙な仕事で、業務負荷は非常に重いものでした。その一方で、家庭内では親のケアの必要性が確実に高まっていました。

仕事も続けたい。

でも、家族のことも気になる。

どちらも後回しにできない状況でした。

37歳のとき、大澤さんは会社を離れる決断をします。当時は、仕事と介護が重なり、続けること自体が難しくなっていたといいます。

それでも、15年積み上げてきたスキルと信頼があったからこそ、「働くことをやめる」のではなく、「フリーランスとして形を変えて続ける」という選択が見えてきました。

限界と、施設入居の決断

「いつまで同居を続けるか」その判断を、大澤さんは先延ばしにしていました。

転機は、2年前の年末でした。母が肺炎になったのです。

認知症が進み、自宅にいることさえ理解できなくなっている姿を、目の当たりにしました。

「これ以上は限界だ」

その言葉が、心の中に浮かんだとき、大澤さんは施設への入居を決断します。

簡単な決断ではありませんでした。それでも、母のためにも、自分たちのためにも、必要な一歩でした。

「どう続けるか」を考え始めた

出来事は、順番には起きません。

重なるように、同時にやってきます。

だからこそ、「完璧にこなす」よりも、「どうやって続けるか」を考えることが大切になります。

大澤さんもまた、その問いに向き合いながら働き方を模索していきました。

会社を離れ、フリーランスとして働くという選択。それは自由である一方で、一度仕事を止めると、収入だけでなく、これまで積み上げてきた信頼や案件も途切れてしまう可能性があります。

そんな中で、大澤さんはどうやって仕事をつくり、続けていったのか。不安定になりがちな中で、どのように収入を組み立てていったのか。

後編では、スキル販売から企業案件、そして継続的な収入につなげていくまでのプロセスを、具体的にたどります。「両立できるか」ではなく、「どうやって続けるか」。そのヒントを、現実的な視点で見ていきます。

大澤さんのダブルケアの日々や活動は、各SNSでも発信中です。ぜひのぞいてみてください。

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